新しい道

エジソン ケイゾウ デ ミランダ クボ

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私留学を通じてあらゆる情報を獲得することができるが、それらをいかにして自分の人生に、あるいは職業選択に生かすことができるかを考慮するのは重要である。

私が、始めて日本に来たのは、1998年の4月6日だった。言葉にかなり苦労し、また、大学院向けの授業を聴き取るのは、不可能であった。それでも、神戸大学の修士課程を目指した。ブラジルの大学で経営学部を卒業し、日本に来た当時、私は21歳であった。1年間の研究生を経て、経営学研究科の試験を受け、合格することができた。修士に入ってから研究の世界と出会い、色々な技術を身につけることができ、研究に対する動機が高められた。日本の成功を支えてきたチーム作業、チームワークなどをゼミで経験して、それが興味深かった。

日本での勉強は楽しかった。しかし、時間がたつにつれ、私は自信を得るよりも、落ち込んでしまった。何故落ち込んでいるのか何度も自問してみたが、自分を納得させるような答えがみつからなかった。もうすぐ修士課程が終わるというのに、自分の日本語能力はまだ低いし、ブラジルに帰ったら、身につけてきた知識や、発見したことを通じて良い仕事を見つけることができだろうか。ブラジルと日本は社会制度の面でも法律の面でもかなり違うし、帰国したらどういう仕事をすれば良いのか。早く国へ帰ったほうが良いのか、あるいは日本で博士課程に挑戦すれば良いのか、等の悩みがあった。何故そんなに悩む必要があるのか。修士課程が終わったら帰れば良いのではないかと思った。ある日、大学院のゼミで自分の修士論文の結論について発表した時に、指導教官から興味深いコメントを頂いた。(自分の研究でかなり悩んだでしょう。悩む必要がある、悩む人は成長する)。自分の先生から頂いた言葉を今でも大事にしている。悩み続け、修士課程が終わった時点で帰国してしまった。それは2001年の3月31日だった。

帰国してから就職活動を始めたのだが、思うように仕事が見つからなかった。24歳で、実務経験がなかったし、深刻な状況に陥ってしまった。その時、ある思いがわきあがってきた。自分が日本で習ったことを誰かに教えたくなった。急に大学に就職したくなった。職業を決める時には自分がやりたい仕事の内容から始めたほうがよいのではないか。日本で勉強したことを現実にぶつけてみたい。しかし、ブラジルに、着いたときには、多くの大学で前期が既に始まっていたし、就職活動をしても教えるチャンスが出てこなかった。

大学に就職できず、企業を目標に就職活動をし始め、サン・パウロにある日系企業(紡績企業)に就職でき、日本人出向社員と一緒に働くことになった。日本で習った日本的経営がブラジルではどの様に導入されているか、職場の雰囲気がわかるようになって、良い経験ではないかとおもった。ただし営業活動をやりながら、大学での就職のことをずっと考えていた。ある日、部長からこういう話があった、(エジソンさんも知っているように、ブラジルでは日本みたいに暗黙の了解はないし、従業員になんでも細かく説明しないといけない)。それを聴いたときに、同時に色々なことに気づいた。もし大学に就職できたら日本とブラジルの間の違いを自分の専門から色々指摘することが出来るであろう。日本で蓄積した情報を適切に利用すれば、数多くのことが言えるし、面白いのではないか。日系企業に勤めながら、自分の目的を追求しつづけた。

ある日、サン・パウロにある私立大学から連絡があり、自分の留学経験、特に自分の研究テーマについて発表してくださいとのことだった。会社を出て、大学に行った。教室に入ったら、100人ぐらいの学生達が座っていて、様子をみると、学生達の年の差が大きかった。それ以上に私より実践で実務世界のことのわかる方々が大勢いることに気づいた時、自信を失った。人前で話すのは恥ずかしかった私は、なんとか発表することが出来たのだが、学生達の興味を引き出すことが出来なかったような気がした。そのあと経営学講座部長の事務所に行って、面接を受けた。その大学の部長からこういうふうに聞かれた:あなたが何を教えたいですか。ブラジルの教室のことはわかりますか。どういう科目に自信があるのですか。日本で研究したことを生かすことができるような科目を考えて、二科目のみだと言った。その時、部長からこういう風にいわれた(こちらの大学ではあなたが担当したい科目は既に別の先生が担当しておりますので、別の科目はどうですか)。その部長からさまざまな科目を勧められたなだが、私は最も自信のある科目しか言えなかったのである。2ヶ月後、企業での仕事をやめて、その大学に就職することが出来た。思っていたよりも面接で上手くいったようだった。その大学の部長によれば、いろいろな科目を勧められても、自身のある科目、深い知識のある科目しか担当しないと述べることは、学問の世界では大切である。会社では、色々なことが出来る人が必要とされているのと違い、学問の世界では、一つだけの研究テーマにこだわっている人が最終的に高く評価されることがわかった。その時に、その大学の部長からもこういうことを言っていただいた。(あなたは、日本に留学したことがあるし、学生達に色々教えられる。学生達はあなたが成し遂げたことをみて、新しい夢を持つことになると思う。自信を持って、蓄積した知識を教室で生かしてください)。

思った通り、自分の夢は現実になっていた。最初に、二科目しか担当しなかった結果、給料は低かった。それにしても、自分の専門分野でよく言われているように、人間を動機付けるのはお金ではなく仕事の内容だということを実感した。心からやりたいことが見つかって、前に進めばいいのではないかと思った。

大学で助手として活動をし始めてから、多くの困難な問題に直面した。多くの学生から苦情が出たり、3回程部長の事務所に呼ばれた。エジソン先生の授業は内容がわかるけど、教え方は解かりにくいなどと言われた。首になりそうな状態に達した時に短期の教育学の技法講座を受け、学生達がもっと自分の実務経験をいえるような講義を考え、それに自分が会社で経験したことや、日本で習ったこと、見たことなどを楽しく教えることが出きるようになった。結局先生として認められるようになった。

大学に就職してから1年後、ある一回生から私の講義に対して出た苦情の件で、部長に呼ばれた。また苦情が出たと聴いた時に、非常に落ち込んだ。ある学生は私の教え方と合わないと主張し、別のクラスに移りたいと部長に申し出ていた。私の落ち込んだ顔をみて、部長がこういう風にいった。(エジソン、大丈夫。あなたは誰をも納得させることができると思うか。誰でもあなたのことを好きになると思うか。神様の息子イエス・キリストでさえ全ての人を納得させることが出来なかったのに、何故、ただの人間である我々が全ての人を納得させることができるとおもう)。こういう背景には、部長がキリスト教の発想から大学講座を経営していたという事があった。この件があってからさらに、文化比較、あるいは国際比較にもっと興味を持つようになり、教室では日本とブラジルの違い、あるいは、文化の面白さについて、学生達と楽しく話したりした。それから、1年半が経ち、無事に仕事ができた。

今年の4月にまた日本に来るチャンスがあり、博士を目指して来日した。三年間ブラジルにいて、色々なことを試して、留学の価値がわかった。留学で得た知識を自分なりに生かしたら、大勢の人に希望を与えることができると信じており、それは社会貢献となるし、道のない所に、道が開かれると確信している。

(Edson Keyso de Miranda Kubo、ブラジル、神戸大学大学院 経営学研究科)

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